あるナベヅル夫婦の物語

ワイバードの山本です。
3月に入り、日本で冬を過ごした鳥達が北の繁殖地に戻る季節を迎えました。
今日はナベヅルの越冬地、鹿児島県出水市で永年にわたりツルの保護をされていた又野さん(故人)から以前お聞きした、あるツルの夫婦の物語をご紹介します。
又野さんの田んぼでは毎年千羽を越えるナベヅルが冬を過ごしています。
ある日、怪我して飛べなくなったツルを見つけた又野さん。
このままでは死んでしまうと判断、自宅のゲージに運び餌を与え、何とか春までに治してやろうと考えました。

数日後、庭のゲージの前に一羽のツルが。
怪我をしたツルに寄り添うように網に体をつけてしきりに何か話しかけています。それからというものの、毎日数度もやってきては同じ行動をします。
又野さんは自身の経験から、怪我をしたのは雄のツルで、毎日やってくるのは雌のツル。そして2羽は夫婦であると確信しました。

春には一緒にシベリアに帰してやろうとの又野さんの想いもむなしく、なかなか怪我は治りません。
やがて3月が来て、風向きの良い日には数十羽の集団を作り、ツルたちは北へ帰るようになりました。気がつくと田んぼにはもう僅かなツルしか残っていません。
それでも雌のツルは毎日、雄のゲージにやってきては網越しに寄り添います。
桜の蕾が開かんとする暖かい日、突然、会いにきた雌に対し、雄が怒ったように物凄い大きな声で鳴きました。
その声は又野さんの耳にはこう聞こえたそうです。
「お前はいつまでここにいるつもりなのだ。俺の事はいいから早く北に飛び立ちなさい。今日吹く風がきっと最後だよ。」
覚悟を決めたように田んぼに戻った雌は最後まで残った集団と交わり、やがて風が吹くと彼らと共に旅立ちました。
その時、いつもなら真っ直ぐ飛び去るツルの群れは又野さんの自宅の上を何度も旋回し、雄と雌は別れの言葉を交わすように何度も何度も鳴き合いました。

暑い夏も又野さんの努力で何とか乗り越えることができた雄ツル。
秋風が吹き始めると毎日、空を見上げて過ごします。
山が色づきはじめた10月半ば、今年もシベリアから第一弾のツルたちが群れを成してやってきました。
集団が田んぼに降り立ったその時、一羽のツルが庭にいました。
そう、あの雌ツルです。
最後まで出水に残った雌は、今度はまっ先にやってきたのです。
7か月前と同じように網越しに寄り添う2羽のツル。
その日は何時間も何時間もずっと寄り添ったままだったそうです。
そして再び毎日、2羽の熱い交流がはじまりました。

年が明け、ようやく雄の怪我も完治し、ゲージから出られる日がやってきました。その時、又野さんは目印になるようにと、彼に赤い小さな足環を付け、ゲージの扉を開きました。慣れないながらも飛び立った先はきっとあの雌ツルのもとです。

再び春が来てツルたちはいなくなり、そして再び秋が…。
渡ってくるツルの群れの中にあの赤い足環をつけたツルがいました。
もちろん横には毎日ゲージにやってきた雌の姿が…
そして彼らの後ろには今年の夏にシベリアで生まれた若鳥が2羽。
遠い北の繁殖地から又野さんの田んぼ目指して、家族でやってきたのです。
15年前に聞いたナベツルの夫婦の話、今でも色褪せない素敵な愛の実話です。