ピョートル大帝はどんな人物だった?

ピョートル大帝はどんな人物だった?

ロシアの人気観光地サンクトペテルブルクは、今から309年前の1703年の5月27日に、ロシアの初代皇帝ピョートル大帝によって築かれた都市です。

毎年5月27日を含む1週間にわたって、サンクトペテルブルクの建都祭が行われますが、市民はこの間に、都市の建設者であるピョートル大帝に感謝の気持ちを込めて「青銅の騎士像(ピョートル大帝の像)」に、色とりどりの花を置いていきます。

ロシアの国民的詩人プーシキンが作った、ピョートル大帝の偉業を称える叙事詩『青銅の騎士』。この詩が有名になったため、像自体が「青銅の騎士」と呼ばれるようになったそうです。
さて、ピョートル大帝は、歴史の教科書でも記述のある「ひげ税」を徴収した皇帝だというと思い出す人も多いかと思いますが、一体どのような人物だったのでしょうか。

ピョートル大帝は、この時代には珍しく身長が2メートル以上の大男でしたが、手先が器用で、宮廷職人の指導により14もの職業を学びました。中でも造船業には長けており、アムステルダムの造船所で身分を隠して半年働きイギリスでも造船学の論理を学びました。
また歯科、特に抜歯に関しては自分の腕を自負しており、側近をつかまえては歯を抜いてその抜かれた歯のコレクションが現在クンストカーメラという博物館に展示されています。

このように労働に理解のある人物だったという面も人気の一つですが、何よりも彼が質素なものを好む性格だったことが、今でも市民に慕われる大きな理由ではないかと思われます。彼は派手な装飾の宮殿を嫌い、サンクトペテルブルクの小さな平屋の丸太小屋に住んでいました。
「ピョートル大帝夏の宮殿」という有名な観光地がありますが、ここにある華麗な大宮殿はピョートル大帝の娘エリザヴェータによって造られたものです。

ピョートル大帝は、「ひげ税」から想像できるように強引な一面もありましたが好奇心旺盛で面白い性格をしており、多くのサンクトペテルブルク市民に愛されています。